父親の影響
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教員である父の背中を見ていた事の影響が、カウンセリングへ歩みに少なくは無いです。父について、表せたと感じる文章を日記より抜粋致します。 |
『金八先生』の最終回
『金八先生』の最終回を見ています。
感想…は、簡単には書けないので、またいつか。
どうでもいいものは、簡単に書けるんだけどなぁ……。
金八先生を見ると、父を思い出します。だいたい金八先生と同年代の教員です。
私が幼い頃は、生徒さんのことで警察から呼び出されるなどして夜中に家を出て行くことも多く、私が起きている時間には不在がちでした。(あまり、父を目にした記憶がありません。)
ただ、生徒のために、(いや、自分のためでもあるんだろうな。)奔走する父の背中は、どこか金八先生と重なるものを感じています。
そんな父は、当時は剣道、今は柔道に熱中しています。そのことの意味みたいなものが、大人になるにつれて私にもようやくわかってきました。
「このひともまた、自分と闘っているひとりなのだ。」と。
父を慕って遊びに来る生徒さんたちがいたり、毎年届く年賀状の数が
辞書並みに分厚いなんて場面を見せてくれる人ながらも、やはりやはり、、、
きっと、分かり合えなくて悲しいことも少なくは無かったのかもしれない。
そんなものを内に秘めながらも、いや、湛えているからこそ根は温かい人です
(最近、年のせいかちょっと硬くなっちゃいましたが…。
先日、昼寝用の布製寝袋を贈りました。。。)
一方で私は…、父と似ていたのもいけなかったのか、彼とは本気でぶつかり合ってきました。 ただ、「信」という文字は彼から教わったのかもしれません。(母によると、「あれでけっこう娘のことを見込んでいるから、ぶつかっちゃうところもあるみたいよー」とのことでしたが。愚息でご免なさい、という感じです)
「お父さんは、尊敬している人っている?」
幼い頃に、一度だけ聴いたことがありました。
「……。特別に尊敬している人はいない。みんな、ひとりひとりが頑張っているひとだから、特別にひとりという人はいない。」
ぼそっと、ぶっきらぼうな返答でしたが、悪い気はしない言葉でした。
ちなみに、この父は当初、私がカウンセラーになることには、あまり良い顔をしませんでした。
でも、私はどうしてもこの職業という思いがあったので、(たぶん、子供の頃から、気持ちが向いていたのだと思います。
そう考えると、挫折を体験したのは、もしかしたら、自分を育てるために自ら飛び込んでいた面もあるのかもしれません。
失敗も経験しなければ、おおよそ「心」に携わることなんで出来るのだろうかという思いを持っていたのは事実です。下手すると20年以上、
この道を見ていたといっても自分に嘘をついていない気がします。)
その表情を知りながらも、ひたすら歩んでしまいました(^_^;)すみません、ある頃から、本当に大事なところでは(自分がどうなりたいか。どう歩んでゆきたいかにおいては)マニュアル的な言葉よりも自分の姿勢を優先して生きてきたし、
これからもそうしていくような気がします。不思議なことに、カウンセラーとしての歩みだけは、どうやっても飽きることが出来ないものがあるのです。
ただ、特に目立った肯定をしない父の背中がそれはそれで頷いているような(というより頷いていた?!)、そんなものを感じる昨今です(^_^)
分野は違えど、「人の気持ち」と向かい合う仕事を選んでしまったのは、間違いなくこの御かたの影響が大きいです。
ちなみに、膨大な量の本が積まれている父の本棚には、『涙の出る子に育てなさい。』という本があるのを私は、
だいぶ昔から密かに知っています。そのことを思い出すと、ふと微笑んでしまう「今」です。
(完璧な子育てなどもまた存在しないので、アダルトチルドレン的な部分も私の中にはありましたが、
自分の空腹も満腹も、過度な満腹も、少し違うところから見られるようになった私として、書いてみました。)
※親への肯定感のひとつを描きましたが、親子の関係でストレスを感じることに対して「いい親になりなさい。」「いい子供になりなさい。」
などとは、私は少しも思っていません。「自分自身を大切にしていきましょう。」という観点は、心の奥、手綱のように持ち合わせています。
自分を大事に出来た上での余裕から人を思いやる気持ちが生まれたら、それはそれで素敵なことだと思います(^_^)
そうして体の一部のように歩んできたこの道、私は好きです。
私にとってカウンセラーという職業は、これ程に懸命にもなれて、でもどこか余裕を持てる不思議なたったひとつのものです。
たぶん、それは私のベースに無理が少ないものとして感じられるからなのかもしれません。何の職業でもそうですが、「カウンセラーなんて…。」という
言葉を耳にすることもあります。それで少々、悩むこともあります。でも、悩むと何かが見つかります。
悩みを経たことで、今まで以上のイエスが生まれることの方が多いです。その際、カウンセラーは正しいんだぞ!などと
下手に力んで叫ばなければいけないなんてことは、ほとんど起こらない感じがします(^_^)どちらかというと、自分を大切に出来なかったときの私は、
どこか大きく力んでいた気がします。
それ程に、自分が目の前にしているものが私にとって、何か…自然の一部であり大切なものであるのかもしれません。
だから、簡単に救済願望に陥れる程、(私は誰かを助けてやっていることで自分を肯定する感覚です。)
いい加減なものでも無いのです。でも、クライエントさんが私とのカウンセリングを通して、
自然に笑えるようになったら、それはとても嬉しいことです。
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