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恋愛依存症(回避依存症)の問題は、以下のテーマとも関連することがあります。
暴力,精神への暴力:モラルハラスメント アダルトチルドレン 依存症
恋が教えてくれるもの、恋が教えてくれたもの
楽しかったはずの恋愛が、いつの間にやら足かせとなっていた。
本当は自分を苦しめている恋愛なのに、楽しい部分だけを見つめている自分がいる。
結果的に恋愛関係に盲目的になるか、世間から自らの恋愛感情を極端に切り離してしまう等…。こうした道理を体験したり、耳にした覚えはありませんか??
世の中には、恋愛の楽しさを描いた歌がたくさんあります。
恋愛関係からは、友達同士では味わえない高揚感も体験できます。
けれども、依存心理が基盤となっている恋愛関係とは「依存症という病理」とも、背中合わせの世界でもあるのです。
これについての適切な認識を獲得してゆくことは、学び、努力した者に、真に対等な人間関係を導きます。
それではここで、恋愛という人間関係の一つにおける「偏り」について見てゆきましょう。
恋愛関係における偏った状態では主に、「追いかけることにしがみついてしまう存在」と「逃げることや避けることにしがみついてしまう存在」が生じます。
メロディ女史の分類が非常に分かりやすいのですが、前者と後者には、
・ 恋愛依存症 (主に、女性がなりやすいとされています。)
・ 回避依存症 (主に、男性がなりやすいとされています。)
という名前がそれぞれにつきました。皆さんも、こんな言葉をご存知では無いですか?
「男と女というのは、不思議だよなあ…。追いかけられているうちは鬱陶しいのに、逃げられると途端に追いかけたくなる。愛着を感じてしまう。」という言葉を。
これはきっと、「見棄てられ不安」というものを追ってしまう方はもちろん、追われる方も抱えている故なのでしょうね。
自分は、愛される価値のある人間ではない。いつか、自分のような至らない人間は見放されてしまうだろう…。恋愛への対人姿勢に表われる特徴とは、「それまでの人間関係で身につけた、その人の気持ちそのものである」のかもしれません。
「見棄てられまい、見棄てられる事実を作るまい」と、ショックから身を守るためにしがみつくか見棄てる側に回ってしまう。棄てられるくらいならば、自分から棄ててやれ。見棄てる側もまた、見棄てられることを恐れている一人なのです。
怖さや不安は寂しさを生み、寂しさは恋をする大切な要素の一つではありますが、寂しさでしか恋愛が出来ない。
故に人は、愛情の育成を目指しながらも質を育てるより外側から見たカタチの方に、重きを置いてしまうのかもしれません。
疎外感に苛まれると人は、自分を救ってくれるハイパーな存在(ヒーローやヒロイン)を心の中に作るといいます。その延長のみにあるのが、どうやら依存症の恋愛傾向であるようです。依存症者同士の出会いが、時に画期的なものとなるのはこのためです。
「誰にもわかってもらえなかった、私(俺)の寂しさをこの人だけがわかってくれる。」
そう思える出会いは、とっても素敵だと思います。この出来事のみは、祝福したいと思います。
けれども、だんだんとお互いの現実(本来の個性)が見えて来ても尚、この第1のインパクトにしがみついてしまうことは危険です。誰しも第1のインパクトというのは、往々にして自分自身に由来しているものなのです。
ですから、ここに拘ろうという姿勢は、「お互いがお互いの、本来の姿など見たくはありませんよ。上辺の関係を作ってゆきましょう。」という、冷ややかさを育むのです。
「私の理想で、いてくださいね。」という声ならぬメッセージは直接言わないという意味で口では綺麗ですが、
「私はあなたのこれこれこういうことに、不安になります。どうしていったらよいでしょうか?一緒に、考えてみてもらえませんか?」
という、声にしてゆくメッセージよりも非常に冷ややかで、乾いています。
恋愛依存症者、回避依存症者は、その声にしないように努めて来た自身の言葉に耳を傾けて、相手と真に繋がるための道を模索せねばなりません。このことはつまり、絶ってきた自身の声や心と自らが繋がることを意味します。
恋愛依存症は、回避依存症を生み出します。回避依存症は、恋愛依存症を生み出します。カタチから入るのも悪いことではありませんが、カタチ作りばかりに追われるよりも中身の伴う結果カタチがある。
傷の舐め合いばかりを助長しない、対人関係、対人援助もしっかりと獲ていってみましょう。幸せは、誰かが決めるものではありません。あなた自身が育み、決めていくものです。もちろん、自分の中にある、幸せへのものさしの手入れもお忘れなく!
パートナーとの関係において、それとなく感じている不条理を書き出してみましょう。
その一つ一つについて、まずは吟味してみることをお勧めします。
解決したと思っている問題でも、無理矢理の余地が大きく占めているものはありませんか?そのことについての、パートナーの言い分(或は、言い訳)も書き出してみましょう。
それから自分の言い分(或は、言い訳)も、書き出してみましょう。
全てが全てをきっちりとは図りかねますが、背負い過ぎている部分や背負わせ過ぎている部分はありませんか?
この作業をして頂きますと書き切らない程にぼろぼろ出るという人や、一つ書き出すのに躊躇いが邪魔をする人等がおられます。
この二者は別々の存在のようですが、「我慢の現れ方」が違うとも拝見出来ます。
さて、いかがでしたでしょうか?
考えないようにして乗り切ってきたことを思い出す作業というのは、楽ではなかったかもしれませんね。それでも、時にそうして出てくる素の自分の悲鳴を見据えてあげましょう。
助かるべくは、我慢の上に成り立っている強そうな「私(俺)」ではなく、その仮面に隠れているあなた自身であるのです。それでは改めて、あなたにお聞きしたいと思います。
パートナーとの関係は、健康的ですか?
不健康なのが素敵というのもありますが、メンテナンスも大切です。
誰かに相談する勇気を出してみる。或は、愚痴ばかりであったかたは少し立ち止まってゆっくりと物事を吟味してみる。あなた自身が本当に望んでいるものとはどういったことか?今一度、そのことをしっかりと捉え直して、気持ちを誤魔化すための努力の方を手放していってみましょう。
身近には依存関係を助長する他者ばかりであるというかたは、カウンセリングを活用してみましょう。心理カウンセラーは、「自立とは何か?自律とは何か?」ということを共に考えることで指導してゆく存在です。
ただし、現実としてクライエントの依存心のみを利用して神々しい存在となれば、余分にお金をとることは可能な立場にあるのが私たちカウンセラーでもあります。そうなってしまっては依存は改善されているように見えて悪化しているのが事実です。
冷たい人を選べとは言いませんが、変に好き好き状態にさせないカウンセラーを見つけることも大切です。
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