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器質的要因から
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個性に肯定的な時代の訪れを目指した結果、様々な価値観の混在する社会が生まれました。読書も自由ですし、ファッションも、幅広く楽しめます。 ところが、よく見渡してみると、難しさも併存しているのです。 自分を取巻く360度の方向から、「こちらへおいで。」と自分を呼ぶ声がします。例えば、北からの呼び声に少し遅れて、南からも呼ばれるのでした。 まるで、北へ向かおうとすれば、南にも価値があると言われる感じです。途端に、北へ向かおうとした自分を、愚かに思いたくなります。 思い直して南へ向かおうと思い、北から距離をとってみます。すると今度は、その距離感が影響してなのか、どうも北側が輝いて美しく映るのです。 一度や二度ならば、笑って済ませましょう。しかし、案外、人生とは、そうした刺激の波の、繰り返しのようです。突き詰めれば人生とは、複雑〜〜〜な価値観の舞う、仕組みの中にあることがわかってゆきます。 そうした中で、自分は一体、どこへ向かえばいいのか・・・。そうした問いに駆られながら、自分の心を覗いてみました。 さて、人の心は、生きています。自分なりの望ましい姿やあり方に向かって、歩んでいこうという、生命の営みを持ち合わせています。 心の中を覗いてみると、そうしたシンプルな構造が目に映ったのでした。 その領域からは、「望ましい姿でありたいなあ!(イド的)」という声が、とても自然に響いてくるのでした。更に注意深く見ていると、似たような言葉を発しつつも、中身の違うものがありました。それは、こう言っていました。 「望ましい姿であらなくっちゃ!(超自我的)」 最初の声との重なりもあるのですが、トータルでは明らかに、大きく異なっていました。 前者、イド的発想の発する声は、自然な感情の欲求そのものですし、何よりも、自分のための自分を見つけるための道標です。 片や、超自我的発想の根元には、道徳・倫理観があります。こちらは、世間のための私を補佐し、自分……、に対しては不自然な響きを放ちます。 両者はどうやら、それぞれの性質上、相互に対して補完的に働く配置にあり、両者で、一つのバランスを作っているようです。 このバランスの崩壊、或は凝固を象徴したものが、人格障害です。 これからお話する「境界性人格障害(ボーダーライン)」とは、その表われ方の一つとなります。どうぞ、ゆっくりと読み進めて頂けましたならば幸いです。 そしてどうか、当事者をも、或は当事者を取り巻く人々の助けとなりますように。 *** ところで、お話を始める前にもう一つ、「自我」と呼ばれる中間領域の存在をお話しておく、必要のあったことに気がつきました。 互いに性質の異なる「イド」と、「超自我」のバランスをとる存在を「自我」と言います。 一般に自我の強い人程、神経症や、人格障害を患い難いとされています。 といっても、いわゆる傍若無人を彷彿とさせる、よく知られたエゴイストのイメージとは異なります。『自我力とも呼ばれるものに匹敵する、バランスを司る存在としての名称』として、読み進めてみて下さい。 幸福感や充実感に繋がる、心のハンドルであると同時に、クッションのようなものが自我力です。イドと超自我との間に生じる葛藤・衝突を通して、自身の内に育ち、発展してゆくものであると捉えられています。 何とも自然な発展を与えてやりたいものですが、ここに、虐待、精神的なものを含めた暴力、ネグレクト、過保護、その他、器質的要因が作用するとします。つまり、内面における内々の葛藤・衝突の体験が疎外されたり、うまい具合に延期出来てしまうといった事態が起こる。 結果として、イド依りの、若しくは超自我依りのアンバランスな人格が、形成されてしまうことがあります。これが、人格障害です。 その内の「境界性人格障害」とは、超自我依りの結果であるとする、見解が主流となっているようです。 「境界性人格障害」とは、簡単に言ってしまうと、「世間から嫌われないように、良い子にしていなくっちゃ!」という、思いの行過ぎた現象であるのかもしれません。 マイナスの感情を抱くような自分は、愛されないだろう。無意識下にせよ、そうした思いも強く、淑やかに感情を封じてしまうことも多いようです。 そうした方法を昇華だと解釈されるかたも多いようですが、その感情は、消えてなくなったわけではありません。 ですから、感情の爆発に至ってしまうケースも多く、そうした過激さは、「境界性人格障害」のかたの一つの傾向・特徴となっています。 怒るのが苦手なので、酷く怒ってしまうのです。怒りを表すことに不器用な人たち、それが「境界性人格障害」のかたがたなのです。 周囲からすれば、彼らが爆発を示す時、直下に、理由があるように錯覚されがちです。 しかしながら、そうではありません。むしろ、過去に由来していることが多いです。 マイナスの感情を適切に表現出来ないといった個性から、言い逃して有耶無耶になりかけたものが山ほどあるのです。 ですから、場合によっては、過去に味わった裏切りを目の前の誰かに投影していることも、充分に考えられるのです。 もちろん、彼らが強化してしまった、自らを封じる基本姿勢、社会(道徳や倫理)に合わせる在り方は、適応力の一つです。 しかしながら、人間とは万能な存在ではありませんので、そうした取り組み方に、限界を迎える必要性もあります。 ギブアップ出来なくて、感情の爆発に至る流れ。それを手遅れにしないうちに、ギブアップしていく方向性でもって、他者の協力を得ていく。自身の傷つきをしっかり嘆き、ゆっくりと深く受け止め……、やがて周囲との関係性を今一度、見直していく。 そうした経過に出会う必要のある、深い傷の現れかた、それが「境界性人格障害(ボーダーライン)」ではないでしょうか。 自らの気持ちを無視する方法でしんどくなるのは、とってもとっても自然なことです。 どこかで、「私は、こんなに頑張っているのに!」という、気持ちに苛まれもしましょう。 いつもいつもお返しをくれるわけでもない、世間を一喝してやりたくもなりましょう。 侮蔑してやりたくもなりましょう。 そういうやり方で、自分自身を呪いたくもなりましょう。結果的に、リストカットやアームカット、果ては自殺を望んでしまうかもしれません。 超自我による「シンプルな感情想起」の凌駕を、許し続ける心の癖、繰り返しますがこれが、「境界性人格障害」の処世術であり、同時に病理なのです。 超自我は、道徳、倫理、規則等のマニュアル的要素を司っていますので、白か黒かというレベルで、世界観を分断する、目線を強化しやすい性質を持っています。 この「白か黒か?」という思考の落とし穴に陥り、なるべくならば、黒だと思う自分にはなるものではない、負けるまいと静かに足掻き続けてしまう……。 そのためならば、乱暴な恋愛やアルコール、賭け事に没頭・依存することもあります。(当事者は、喫煙率が高いと言われます。)勝ち続けるために、資格をむさぼってみることもあります。 その奥底には、鳴り響いてやまない、否定感、喪失感、空虚感。それらの想起に、由来した不安感。そっとゆっくり休もうものならば、その静寂が、満たされなさを悪しく批判し、早鐘を打つようにそれらを伝えてくる? 低い自尊心の絶えず蠢く腹を抱え、高いプライドで覆わずにはいられない恐怖心でいっぱいです。だからこそ、シラフでの自信の無さや怖さを、打ち消してしまうか、とっさのエネルギー(衝動)で庇わねばなりません。 粗を隠し通すことに徹底し、マイナスの感情から逃げ切らねばなりません。 望ましい状態(理想)から、外れる自分を感じること。そんな自分は愚かで悪しく、許せないものであり、恥ずべき存在である。脅威以外の何者でもない。 だから、焦って、代償行為をせずにはいられない。理想が、彼らを大きく揺さぶるのです。 一方で、自分にとって、望ましい理想に出会う。 この場合は、快刺激としての強い揺さぶりとなり、一種の崇拝心を呼び覚まします。 そうした心の動きを反映するかのように、「境界性人格障害」の作用する対人関係とは、「理想化」と「こき下ろし」を行き来するといった特徴を持つとされています。 「誰かの反応で生きる自分」という、アダルトチルドレンに見られる傾向が、この往来には絡んでいるため、自分が無いという姿が、一つの名称となってくるやもしれません。 「境界性人格障害」の人々の心は、次のメッセージを台本としているようです。 「I hate you.Don't leave me. (わたしは、あなたが大嫌いです。置いていかないで。)」 彼らの声は、自己矛盾に始まっているのです。 そして、彼らの外側に存在している、彼らを助けたいと思う周囲も、何よりもまず、この矛盾に戸惑ってしまうのです。 とってもとっても複雑で、当事者に、鈍痛のような苦しみを与える病理です。 けれども、鈍痛なので、当事者も、どう痛みを訴えてよいのかわからないのではないか。 思わず治療に専念せずにはいられない、はっきりとした強い痛みとも違う。その点が最大の、回復を妨害する要素ともなってしまうのではないか。 これが、現時点での、私の考えです。 *** 「境界性人格障害」発症の男女比率は、女性の方が、圧倒的に多いと言われています。 男性は、反社会性人格障害という、イド側に依った形での?発症が多くなります。 あちらとこちらの価値観から、同時に呼ばれ、矛盾を抱える状況に身を置きやすいのが、女性の側であるためです。 (これについては、社会進出によって、女性に要求されるものが増えたことを理由とする説もあります。) 『この時代、家庭に入る女性でいては駄目?』 『結婚したい。でも、働く女性としてのステイタスは、失いたくない。』 『仕事が乗っているけれど、このままでは負け犬街道・・。』 『美味しいものを食べたい。でも、痩せていないと恥ずかしい。』 『資格でも持っていないと、みっともない。』 『失敗が怖くて、親しくなりたいけれど、上辺のつき合いでないと怖い。』 『お金がかかるのは辛いけど、イマドキでいないと気まずい。』 こんなニュアンスの矛盾を抱いた覚え、あなたにはありませんか? 実は、「境界性人格障害」の要素は、こうした感覚の連なりにも由来し、誰しもが持っているものでもあると言います。 しかしながら、該当すると思われるかたは、安易な判断を避け、医師の診断を仰いでみてください。といっても、「境界性人格障害」を得意とする医師に、会われることをお勧めしたいと思います。 尚、現在、有効であるとされている治療法としては、カウンセリング(弁証的行動療法、認知行動療法)、薬物療法です。 裏切りなどをきっかけとして、発症する症状であるためか、包容力のあるパートナー(恋人)を得ることで、自然治癒するといった症例もあります。 |
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