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「権威コンプレックス(心の中の父なるものと息子)」
父と息子の支配権争いを軸として語られる布置を「父と息子元型」と呼びます。これよりは、息子に脅かされる父を旧来の勢力、覇権を狙う息子を新しい勢力と見て行くことにしましょう。
人の心の中には、私たちの意識が存在する以前から既に存在する領域があり、そこには、いくつかのパターンが配置されていると言われています。そのパターンの一つに、この「父と息子元型」と呼ばれるものがあります。
争いのみの観点から眺めると、打ち消さねばならぬものとしての話題に留まりますが、父と子の支配権争いには、世代交代の役割という大切な意味合いもまた、隠れているのです。
即ち、『息子による、象徴的父親の打倒によって初めて、新しい風の吹き込まれる窓口が生ずるという構造』のことです。
「父なるもの」が王国を統治している時、その場所は一種の安定を得ますが、それは同時に、平和の隅に存在する問題の安定化も意味します。この状況に対し、改革を起こし、意味と方向を与えるのが、「息子」という立場であり、無秩序の中で起こる新しい動きそのものであるのです。
ところで、「父なるもの」とは言いますが、それは、いわゆるお父さんのことを直に指すのではなく、私たちの心の奥に存在すると言われる像のことになります。
言い換えれば、「父なるもの」の派生としてのお父さんがあり、更には、社会規範や集合的無意識と呼ばれるものについても該当します。ですから、「父なるもの」を担っているのが女性であることも、充分に考えられることです。
さて、現実において社会規範の変わる時でさえ、そこには「息子なるもの」からの挙兵と「父なるもの」の打倒にあたるアクションが見られます。
或は、それは、私たちの心の在り方にも言えることであり、私たちの心についてもとても自然に、安定と不安定を行き来しているのです。
そうして、一人の人間においても、この運動は生じています。人の内面においては、一つの自我が形成されそれが崩壊し、新しい自我が生まれ…といった流れで、脱皮を繰り返しています。
争いという観点から眺めると、打ち消さねばならぬ話題に留まりますが、どうやら私たちは、改革を迎えねばならぬ間合いと共にも在るようです‥。
この上下関係のニュアンスに裏打ちされた、ややこしさのことを「権威コンプレックス」と呼びます。
例えば、上司に頭が上がらない、目上のものには無下に反発を覚える等、何故だか理由ははっきりしないけれども(表面上の理由ははっきりしているけれども)、何となく、影響力を感じてしまうのです。
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