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 来談者(クライエント)中心療法
心理学者カール・ロジャーズの提唱した、今日ではカウンセリングの基本としてよく知られている療法のひとつです。
この療法における聞く≠ニいうことが日常会話でのそれと違い聴く(深く聞く)≠ニ言われるのは、来談者(クライエント)の語りを根気よく見つめていく姿勢の故です。また、無条件の肯定的な関心をクライエントに向けること≠フ土台がここにあります。
相手の話をよく聞いたという経験をお持ちの方は、少なくないかもしれません。ところが、この療法の指す聴く≠ニは、重なる部分あり次元の違うものでもあるのです。どのように違うのでしょうか?私は、こう答えたいと思います。
聞くという動作における見た目ではなく、見えない領域を換算した内容・質≠ナあると…。
人は誰しも、ものの見方に対する自分の枠≠持っています。枠を基準に世界を認識し、生きるということを極々自然に行っています。むしろ当たり前さや自然さが災いして、自分の枠≠フ存在は容易には自覚されません。ついつい相手の話を自分の枠≠ナ、或いは自分の話を相手の枠≠ナ結論的に聞き合ってしまうのは、このためです。つまり、「枠の存在に触れないままに、とにかくたくさん聞いた聞いてもらった」というのが、おおよそ日常会話における聞く≠フ特徴であるわけです。
敢えて比較を使うならば、日常会話におけるたくさん聞く≠ニされるものは量として多く聞く状態にあたるのではないかと思います。もちろん、これにだって効能や意味はあると思います。「言葉にしたい」思いに追われている時には充分な刺激です。コミュニケーションも、成り立ちます。
しかしながら、話すの直前にある「心のコントロール」をうまく行えない状態にある人にとってはどうでしょうか。(この状況にある人をクライエントさん、またはクライエント候補者さんと表現してみます。)人間の心には、様々な状態があるのです…。
時間やテンポをかけないと表現出来ないものに直面しているかたが、ここにあるわけです。自分の心を丁寧に表現していくことを必要としている人にとっては、より慎重に聴くという呼吸合わせ≠フコミュニケーションは欠かせません。「ただ聞き合えばよい」といったことの先にあるものが語られ聴かれることも、大切なのです。その人の持つペースが生かされ、その人の心が鮮明になっていく。そういう、間合いと時間と相槌が敏感に向けられることがポイントです。
このペースが邪魔されず、本当に話したいことをその人自身が編み出し話せるという過程を辿れた時、人は自分で悩みを解決する方法≠ノ出会ってゆくものです。その人の悩みに、本当の意味でその人が出会い切ることが大切なのです。そこに至れた人は、自分がよりよく生きるために何をしたらよいのかを選択出来るようになります。深い悩みというのは、そもそも何が悩みなのかを把握し切れていない苦しみでもあるのですから。だからこそ、せっかちなアドバイスやその場しのぎの解決法交えた言葉は邪魔になるとロジャーズは考えました。
ただ聞くのではなくただ聴くのでもなく、しっかり相手の立場になって聴こう・向かい合っていこう。この姿勢が、語られたのでした。
ただし、「来談者中心療法とはアドバイスを全くしない心理療法である」と考えるのは間違いです。軽率なアドバイスは避けなさいということはあっても、常に確認する姿勢を忘れずときに適切なアドバイスをすることは禁止されてはいません。
〜聴く側のあなたへ、そして私へ〜
来談者中心療法とはカウンセラーにとって、クライエントさんに本当の意味で自身の悩みに出会ってもらう道のりに本気で向き合っていくための概念です。
しかし、これはただ聞くことに力を注ぐ≠ニいったことを意味していません。
クライエントさんの前にあるのはテープレコーダーというオウム返しの機械ではなく、あくまでもカウンセラーという心を持ったひとりの人間であることが重要です。セラピストの3条件とも言われる、●共感的理解、●受容、●カウンセラーがありのままの人間として関わることを意味した純粋性(その上において、自己一致している状態にあること)を充分に活かし、クライエントさんに接していきたいものです。
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