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カウンセリングというと、一般には「良い子」に矯正されるところというイメージも強いようです。
けれども、これはだいぶ違うなあ‥と私は感じています。
と言いますのも、カウンセリングとは「良い子」にしていれば社会生活や社会的身分が保障されることを教える場ではない事実を目の当たりにしているからです。
むしろ、カウンセリングとは、「良い子」という一義的な価値観に対して「良い子」足り過ぎてしまうか「悪い子」であることにすがってしまうことに第三の目を与えるためのものです。
ここに、こころ音で描かれる概念の修得がじんわりと着実に絡んでくるのです。
実は、こころ音という概念は単純かつ複雑なものであり、この概念を大成しているぞと思った時点で生涯得られるものへと変化します。
確定し切れぬ因果律の中で確信と自信のタイミングを持ち、同時にまたそれを驕りに換えない柔軟さの要求される深い概念なのです。
こころ音という言葉には、受容の響きと学び人である姿勢を忘れることなかれという誡めの響きが併存しているのです。
カウンセリングに訪れる人は、昔で言う僧侶と同じです。
自身について問うことを「生」に生かそうという人たちであるというのが、本来の意味合いとなります。
時にこころ音の姿勢に守られながらも、こころ音について吟味し続ける姿勢…。
ここから始まるのが、こころ音という概念であり実はカウンセリングとも密接に関わりのあるものなのです。
こころ音という概念
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