恋愛のもたらす傷 失恋
第2回目までは比較的、やんわりとした執筆を心がけて描いてきました。
ここから、少しだけ傾向を変更します。
恋愛には、痛みを伴う激しい側面があります。よく知られているのが、「失恋」という現象です。
恋を手に入れることが出来ない。手に入れた恋を失う。こうした場合の恋愛は、どちらも、その人の心に痛みを与えます。下手をすると、大きな傷を残します。
真に恋を失うというのは、当事者にとって、「ただ持ち物を失くすこと以上のもの」を意味するのです。
「求められなかった自分」という事実が、場合によっては、自尊心を大きく低めてしまう可能性もあります。ここから派生して、自尊心を歪めてしまうことさえあります。
同時に、その低められるパワーへの無意識的な抵抗が、自尊心を高め過ぎてしまうこともあります。反動で高まった自尊心が、その後、自然な恋愛の獲得を遠ざけることもあります。
それくらい、
失恋という現象には、時に、無理なパワーがかかるのではないかと思います。
片や最近の私は、「恋愛の本当の始まりとは、本物の失恋を経験した後にあるのではないか?」なんて、考えることがあります。
これは、「失恋を怖がる余り、恋が始まらない」かたの恋愛話を耳にすることが多くなったせいかもしれません。
「恋はしたいんだけど、深入りして傷つくのがもう怖くて怖くて仕方が無いので、恋愛以外のものに熱を注いでしまっている」とか。
「理不尽なフラれかたをしたために、恋愛を勝ち負けで図ってしまう傾向が強化される」など、様々です。
とにかく、「不安なんだな・・・、怖いんだろうな・・・。」って、考えさせられます。
ある程度、意識して臨んだ失恋は痛手を受けにくいところもありますが、予期せぬ喪失に至っては、人の心を痛めつけるものなのです。
(ある程度、気楽に、失恋を意識して臨める恋というのは、恋心未満のものでもあるかもしれません。)
おそらく、
何かを失った自分を受け止める道行きが、その理由の曖昧さによって、精神的に複雑になってしまうからなのでしょうね。
どちらにしても、こうした状況に直面している時の人間に対して、そっと目を閉じながら、休養と回復を祈るばかりです。
ところで、「恋愛をしたい!」という衝動は、
「自分をわかってくれる誰かが、欲しい!」という気持ちの表れの一つです。
ですから、自尊心の安定や高まりを期待する所に位置するものが、恋心であるといっても、過言では無いのかもしれません。
失恋の痛みが小さいもので済まないというのは、この期待に、由来しているが故のことなのでしょう。
自尊心の安定を期待した足元において、期待が削がれた上に、「選ばれなかった」というレッテルを突きつけられるというのは、本当に辛いことなのだと思います。
そうした時の自分を受け入れるのは、容易なことではありません。
そのため、失恋を経験した人が恋愛離れしてしまったり、逆に、自分を痛めつけるような恋愛にのめり込むことがあります。
怖がりな人は、恋愛を始める前から自分の中の、失恋をするイメージに既に圧倒されていて、恋愛において、自分から誰かに橋をかけたことさえ無いかもしれません。
失恋というキーワードが人を真っ直ぐに恋愛させない現象は、人間社会を少しずつ蝕んでいるような気がします。
えっ?!『ところで、これを書いている本人は、失恋をしたことがあるのか』って?
ハイ。ありますよ(^_^)
20代前半は過去のことの、私です。今でこそ良い夫に出会いましたが、今の関係に導きを与えるような失恋も、しっかりと経験してきましたデス。
失恋の経験も無いのに、さもわかったように失恋を描くなんて大それたこと、私には出来ません(笑)
従って、失恋する人々を上から見下ろすことも出来ません。
