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学校生活や社会生活等、様々な環境との触れ合いから慣れたり鍛えられるなどして多少は違った印象を与えているかもしれませんが、管理人自身、どう間違えてもHSPであるようです。
Highly Sensitive Personについて知った時、「私?」と思わず思春期前に特徴付けられる個性の基礎について様々に振り返ったものです。
「この子は、大きな音ですぐにびっくりする。そんなようじゃ駄目だ。もっと図太くならなくちゃ。変わるべきだ!!!変わるべきだ!!!」
自我の未発達な時期に耳にする言葉というのは、良くも悪くも言葉のみを真に受けやすいものです。幼い頃、この点ばかりを強調しておっしゃるかたが一人、近所におられたことで悩んだ時期がありました。
確かに、何か強くなることも覚えなければならないところが私にはあったことは事実でした。ただ…、
「この人は、本当に私のためを思ってこう言ってくれたのだろうか?」
年端の行かない子供の印象とはいえ、この指摘をくださったかたの目には冷たさがありました。
「愛情のある厳しさとは違う、むしろ何か強いコンプレックスを感じるよう…」
後にその直観は、『自分自身の不全感を他人に投影している』という現象への一致に辿り着きます。
つまり、「私のため…」という皮を被った根元にはそのかたにおけるアンバランスが潜んでいたのでした。
「変わるべき!!!」という言葉、言い換えれば「自分らしくあるな」という否定感のことです。これに強いられ、或は自らも自らに強き急いていたのはこの方の成してきたことであり、おそらくそれが純粋な指摘を捻じ曲げていたのだと思います。
このことを理解した上で私はどうなったのかと言いますと、むしろ、「HSPであったとしても、色々やってみよう!」と少し腹が据わったのでした。理解して貰えないことを嘆くよりも、とにかく「いかにして理解を得てゆくか?」と考え取り組んでいこう!
強烈な否定の中にも、よく吟味してみると、教われるものは詰まっているわけです。結果的に、私を悩ませてくださったこの不幸?な出来事は、そういった個性を持っている自分というものを知るきっかけのひとつとなったのでした。
また、周りに目を向けてみれば、「HSPの気持ちの持ち方や発想を否定し切らないでいてくれる」と感じる友人・知人(預けられた家では親族)がその時々においてあったこと(自ら持ってきたこと)もよかったのかもしれません。無理の無い自己肯定感を何となしにも維持するという太い綱は、何気ない小さな要因がたくさん絡み合って出来ているのでした。
「体力が無い方だから、フルにとはいかないけれど。。。」
「休む時間が、自分には必要。」
とどこかで言える人がいたり、そういった人を増やしていくことをまずは自分が諦めきらないように一日一日を紡いでいく。時に、精神の対決も経験し切ってみる。
HSPなりの処世術を身に着けるというのは、良い試練の繰り返しであるのではないでしょうか。
さて最近、どこかでいつも、こんな言葉が私の中で響いているのです。
「本当に、自分が心から望むことがあれば、まずは自分≠ェ諦めるなよんー♪」
人は泣いたら負けともいうけれど、私の中では、ちょっと違います。泣いて初めて、自分≠ェ出せることもある。泣けてからが、意外と始まり。本当は勝ち負けの問題じゃなくて、泣きもしないうちは、本気で取り組もうとさえしていない自分でもあったりする。どこかで、自分が自分に手加減をしちゃっている。そのときそのときにおける色んな感情を、まずは自分が大切にしていこう♪
でも、人生という長丁場に臨むなら、諦めないためにも休みもとろう。。。いつも心に、お茶と温泉と花束を。
自分が自分に何となく伝えている言葉です。誰に押し付けるためのものでもありません。
自分の内面へ向かいありがとうと伝える、ただそれだけのことなのです。
アインシュタインも言っています。(青文字部分は、澄美による補足です)
「どうして、他人を否定したくなる程に自分を責めるんですか?
他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。」
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ウウムウウム、文章が、ちょっくら偉そうになってきたので、ペースを落としてゆきましょう(^^ゞ はー、まったくまったく♪
生きていれば、HSP(非HSP)である自分に焦りを感じることもあましょう!必要以上の努力を無理強いする時期もありましょう!
そういえば、ワタクシ、そんな頃に、
「澄美さん、自分のやれることをやればいいんだよ。」
という言葉を貰ったことがありました。そうした気持ちの持ち方を教わったことは、私の中の無駄な力みを落としましたっけ。
もちろん、努力した自分も、過去も無駄ではなかったのです。ただ、毒にしかならない努力については考え直さなければなりません。この努力をすることで、むしろ「本当に取り組むべきところから目を逸らしている自分」が潜んでいるのだとしたら尚のことです。
今の私にとって、「ひとりになる時間」は非HSPのかたよりも相変わらず必要なものであることには変わりありません。ただ、色々な人と出会うことは好きな方です。
自分のペースを大事にしてというのが基本になりますが、自分における「モチベーション」と「こなせるもの」のバランスのとり方がわかってきて、年々、人生が温まって来ている感じがします(*^^*)
今まで携わってきた仕事も不思議なことに、苦手な「窓口」にあたるもの、一人で黙々とこなせないものばかりです。色んな課に顔を出したり、色んな患者さんや色んなお客様に会ったり…。
アーロン博士が、「自分から橋をかけなさい」とおっしゃっておりましたが、これはその通りなのかもしれませんね。
結婚前まで勤めていた会社の勤務最終日、営業さんや営業事務さんみんなの前で、
「窓口は、どちらかというと苦手なことだけど、やってよかった。(得るものがあった。)」と挨拶出来たことで、
『HSP』であることを自分から伝えることが出来ました。この頃には、気持ちのどこかで「まずは、なりたいという気持ちを持つこと。そして、それについて着実に努力を重ねてゆくことが大切なんだ。」「人生、そう悪いことばかりも起きないもんよ♪」と、そんなふうに思える心を獲得していました。
それら自分で積み重ねてきた宝物は、カウンセラーとしての対人姿勢においても力になってくれていると今は実感しています。ただし、決して自惚れず…に。
一部分の感情のみに縛られるのではなく、目指すのは全体性というのでしょうか…。私は、「自分に駄目出す自分」を諦める動作に寄り添っているのかもしれません。
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