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カウンセリングの道標

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カウンセリングとは??





「何故、有料なんですか?無料でやってくれてもいいじゃないですか?」
「カウンセリングと、聞き上手の友達に相談することは、似たようなものだと思いますが?」
「カウンセリングを受ける自分になってしまうと、まるで自分が駄目な人間に思えてしまうのですが。」




カウンセリングを「無料」で行うということは、「有料」であるという関係性から発揮できるある種の効果を返って制限する形式となります。そして、心理カウンセリングとされてきたものは本来、この「有料である関係性」を活用した支援策・指導方法なのです。{そうした意味では、当ルームにおける「掲示板カウンセリング(お一人様1回限定)」はカウンセリングに至れずのものとなります。}
例えば、悩みを聴いてもらいたいときのあなたの姿を思い浮かべてみてください。そして、あなたは身近な友達に相談をします。その友達が聞き上手な頼れる存在であることも、充分に考えられましょう。そのことであなたは色々なことを話せたと思い癒される、これはよくあることです。そもそも、誰かに自分の思いを聞いてもらうということそれ自体にカタルシス(心の浄化)効果があるわけですから。これはこれで、大切なものです(*^^*)

ところが、聴いて貰えてスッキリすること自体心地よいことなのでついつい癖になってしまうということがあります。何といっても「無料」ですし、大袈裟に言えば継続してもリスクはゼロ円です。このことにより、次のような状況に陥っていく可能性があります。肝心な問題解決について、自分がどう関わってゆくのか?自身のありかたについて、自分はどう見直してゆくか?そうした、自らの本来取り組むべきところから焦点が遠のいてしまうのです。 そうしている間に問題そのものが解決してくれればよいのですが、なかなかそうはいかないのが現実の厳しいところです。

察しのいい人は、この時点で「動かない現実問題に対するジレンマ」と「聴いてもらっている自分」との関係性に疑問を持ち始めます。「聴いてもらっている」のに、実は不満も生じてくるわけです。
「見返りも無く聴いてもらっているのだから。」と聞き手に申し訳なく思い、聞き手の顔色をいつの間にやら伺っていた自分に気づくこともあります。話せていると思っても、「友達同士であることの見栄を抜け出していない自分について」改めて視野に入れてみましょう。実は、関係性の遠い人よりも身近な相手の方が素直になり難いそんな特徴を持つのも人という生き物です。だから、色々なことを話せたことにしてしまっているあなたが心のどこかにある、そのことも考えてみる必要はあるのです。

このくらいの我慢は必要だよね。聴いてもらっているのだから…。(或は、連帯感の心地よさがどうにも手放せず、我が身への洞察が疎かになっている現実に気づこうとしない意識というのも、時に、働いているかもしれません。)この言葉で振り返り、よーくよーく自分に尋ねてみてください。
さて、その我慢してしまった部分は、本当に「このくらい」にしてしまって良かったのでしょうか?我慢してしまった、つまり「話してはいけない」と、無意識にも自ら科してしまった制限の根元にこそ、「まだ話せること」よりも「まだ話せていないことであり、とても重要なこと」がどっしりと座っているのではないでしょうか? もちろん、そのことについて考えてみるのも考えないでいることも、それを決めるのは、他ならぬあなた次第です。いかようにも良かったこととして、「言葉としての、理由づけ」を加えることはあまりにも自由であり、簡単なのです。
しかしながら、自由であることには責任を伴います。「本来の問題解決に向けて、自らで歩を進めない我が身」について、望むと望まざるに関わらず、ものごとの道理により責任が与えられるのです。
それは、短期的な視点ですぐに思いつく小さなペナルティ等ではなく、真なる問題解決も自己成長ももたらされない、その人にとっての現実そのもの、長期的な、内面への蝕みのことを指します。
ですから、問題解決や自己成長を思う時、場合によっては、その、掘り出していない領域を疑問視するという、勇気を伴う動作もまた、人にとっては必要となってくるのです。

カウンセリング、『カウンセリングという日常とは少し違う場面を設定した空間』では、そのあたりこそ最もなターゲットとして取り組んで頂きます。もちろん、話すということを無理矢理搾り出されることはありません。話していってみようと思う、あなたのペースが一番大切です。
また、守秘義務の設定などもあり、『クライエントの心』の守られる空間が、カウンセリングという場面であること、その上で、思う存分、クライエントにとって自己洞察の時間に活用して頂ければと、カウンセラーは思っています。
クライエント(依頼者)という存在は、『自ら、カウンセリング料金というお金』を払うことで、それを与えられるのではなく、自らでしっかりと得ているわけです。
ですから、ここにおいてクライエントという存在は、人から譲ってもらったことによる気兼ねというものを持つ必要はありません

(カウンセラー側もお金を頂くという間が入ることで、相談をされるかたとの間に「(聴いてやっているのだからといった気持ち)支配関係」の生じることを無意識的にも防いでいます。カウンセラーは神様ではなく、ひとりの人間です。あなたを担当するカウンセラーの人格そのものの大切さも思いながら、人間であることの限界を認め、自らの人格に対して無制限に依存せず、それを別要素で補う工夫を行わねばなりません。万能感をそぎ落とし、率直に、他者と向き合うためには、人格以外にも、「クライエントとカウンセラーの関係性を守る法則」を作っておかねばならないのです。ここに、契約という概念が置かれ、そのうちに料金や、時間と場所などの、相互の距離感を支配関係から遠ざけるための取り決めごとが含まれているのです。契約という概念は、人間による、長い歴史の上での知恵の産物です。)

さて、契約を活用した二者空間となると、友達関係からはまず得られません。友達関係には、契約関係の欠点を補う長所もありますが、契約関係には友達関係の欠点を補う長所があるのです。

契約関係を利用したカウンセリングでは、一見して、誰かに頼っているようにも見えながら、本質的には、「他力本願ではない自分語りと、自己切開への純粋な時間」を作り出しています。この空間において中心となる姿勢は、「回復や立ち直りを成せるのは、クライエントさんご本人であり、我が身の救済願望や救世主願望を満たすために手を差し伸べることで、その主導権を考えなしに奪ってしまったり、妨害しない」という、支援の基本において、真に、他者を尊重するための、細心の注意と計らいなのです。
ただし、クライエントさんのみの視点では感覚できることに偏りが生じてしまうので、カウンセラーは、「他者であることと、クライエントさんを映し出す鏡」としての立場を利用しながら、見えざる様々な協力を行ってゆきます。クライエントは、自らの日常やカウンセラーとのやり取りを通して、自らの向かうべく方向を自らで探してゆかねばなりません。
クライエント、カウンセラーという、対等な契約概念に基づいたそれぞれの役割をこなしながら、クライエント中心でありかつ、共に図ってゆく問題解決ですから、それに取り組むクライエントという存在が駄目な人間である等と、私は、間違っても言えません。


「カウンセリングを受ける自分になってしまうと、まるで自分が駄目な人間に思えてしまうのですが。」 と、自らに思っておられるかたも少なくはありませんが、
その実、このような寄りかかるだけではないものに取り組むのが、クライエントです。彼こそは、むしろ努力家の卵であり、心の探検家という、的確な勇気を扱おうとする候補生であると私は思います。
カウンセリングで、自らについて本気で取り組んでいこうという意志を持つことは、決して、楽なだけではないのですから。
ただちょっと今は、ペースを落とさないと次のペースを作り出せない。そんな過渡期にある人たちなのだと思います。








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