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カウンセリングの道標

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カウンセリングとは??





「ぶっちゃけ、カウンセリングって、受ける側にとって何をするものですか?」





カウンセリングとは、クライエントの中にある、自分を内実的に助ける力、「内なるセラピスト」を育てていく動作、過程そのものを指します。内実的に作用するセラピストが元気で、バランスよく働けば、クライエントにとってより良い選択を自らが行うようになります。 非の打ちどころの無い、完璧な幸せというものが無い世の中で、より快適に、心穏かに(刺激の無い日々を送るという意味ではありません)、「私」という人間が暮らすというのはどういったことなのか?
クライエントは、カウンセリングにおいて、心の充実や幸せの尺度について、自身にとって、より適応的な視野、あり方に至るまで問い直し、我が身を問うことから学びを始め、やがて、それらを的確に実現してゆく眼差しと行いを身につけてゆきます。
クライエントにおける日常でのあれこれ(カウンセリング外のもの)や、カウンセラーとの対話という共同作業、自分語りなどを方法・プロセスとし、あくまでもクライエントが主体であるという場面構成において、大切に、丁寧に、共に、我が身における真なる願いを導いてゆきます。

言い換えれば、カウンセリングを必要とするクライエントさんというのは、この「内なるセラピスト」が弱っている状態にあると表せます。
私自身もカウンセラーとして、クライエントさんの人生に立ち会いながら、常々、本質的な領域において、「決められない」「選べない」という角度で、自らとの接点を欠き、悩んでおられる姿を目の当たりにしています。いえ、表面的には、「決めている」「選んでいる」(ように見える)こともあります。場合によっては、「私(俺)は、いつも自分で何とかしてきているから、そんな動作に何の意味があるのだろう?」という言葉で、跳ね返したい場面でもありましょう。
ところが、ここで言う「決めてゆける」「選んでゆける」というものは、必ずしも、こうもさらりと語られてしまう下線部を指すとは限らないのです。
さらりという動作も、場合によっては、抑圧の過ぎてしまった結果、さらりと口先で語っているだけであって、カウンセラー側には、中身を伴わない現実の方が垣間見えることもあります。
ですから、当ルームでは敢えて、更に丁寧に、内側からゆったりと表現できる、「ある種の充実感や、穏やかさの伴う動作・実感を目安とした援助目標・回復の指標」をカウンセラー側の姿勢に置くよう、心がけています。

「何の意味があるのだろう‥?(自分みたいな駄目な奴に、出来るもんか。やれるもんか。だから、考えないようにしてやる。反対の道を歩んでやる。)」という、言葉の奥にある「疑い」を「問い」に変え、「否定」の奥にある「密かなる期待の見直し」への取り組みこそが、心理カウンセリングにおける、大切なキーワードです。
悔しさ(羨望・妬み)に裏打ちされない、自由で開かれた自己を活性化してゆくこと、これこそが、「内なるセラピスト」の役割であり、目的であり、ひいては彼の本質そのものであるためです。

カウンセラーと共に、言葉という道具を通して自分という大地を発掘し、クライエントさんの中に潜む「内なるセラピスト」という概念を綿密に見つけ、見定め、クライエントさんにおける「私」という畑を育てていくことこそ、カウンセリングの重要なプロセスです。
クライエントとカウンセラーが共に取り組んだ、カウンセリングにおける「もたらされるもの」とは、それ以前には無く、その先にあります。更に、「もたらされるもの」とは、一般的には、自己成長だとか問題解決、自己受容等と言い表します。
しかしながら、人の数だけ存在するそれらについての実際は、カウンセリングを始めてもいない(関わってもいない)相手に対して、カウンセラー側が勝手に、容易に決め付けて語れるようなものでは無い現実についても、忘れてはならないと思います。
何が得られるのかがわかっていないからこそ、カウンセラーもクライエントも、懸命に知ろうと心を動かします。知ろう、知ってゆきたい!この姿勢にこそ、自己成長や問題解決、自己受容への「答えに繋がる、意識されぬ促し」が潜んでいるのではないでしょうか?
ですから、クライエントさんは、わからないところから始めれば良いのだろうと、私は思います。わからないから知りたくなる、そこから始めなければ、かえって何にも始まらないのだろうと思います。

「わかっていない自分を自覚する」ということは、我が身の無知を知ろうともしない自惚れを自らで外れることです。我が身をよく知り、よく使いこなすための最善の第一歩とは、ここにあるのです。






「内なるセラピスト」のイメージについては更に、下記における「よげない」についての考察が多少なりとも参考となるかもしれません。「よげない」の性質こそ、それにあたるものではないかと私は思っています。
「内なるセラピスト」も「よげない」も表象的なもの(心像)ですが、姿の見えない風が大地を動かすように、それらは確かに、私たち人間の生き方に対して作用しているのです。


               <−よげないのいる家−ユング心理学からの考察>より
竜宮童子という昔話が、あります。
故あって龍宮城に行くことになった主人公が、帰りに「よげない」という汚い子供を貰います。「よげない」がいることで、家はどんどん裕福になってゆきます。やがて、おごりから家の者が、汚いよげないを捨ててしまうという展開となります。すると、富は、途端に消え失せてしまいました。

昔話や御伽噺は、児童文学に限らない示唆的な要素をたくさん含んでいます。ユング心理学の授業では、そのあたりの検討を取り組みました。様々な国の数だけ、文化もまた存在しています。そうであるにも関わらず、どの国の昔話にも共通した要素があり、それを抽出していくことで見えてくる、人の心を追う、そんな授業でした。その中でも、心に残っていた話題のひとつです。
地域やお話によっては、この汚い子供というのが、「とてつ」という女の子だったり、様々です。ただし、どの話題にも共通しているのが、この汚くて、イマドキでもなくて、それ自身はお金を持っていそうもない子供のいる間の家は、幸福であったということ…。心理学では、この汚い子供をひとつの表象(イメージ)、人間の内面における住人として見てゆきます。

カウンセリング場面においての私はと言えば、クライエントさんの中に、「内なるセラピスト」としての「よげない」をついつい探してしまいます。
ところで、「よげない」君を探す時の私は、その作業の大前提として、私自身の内側における「よげない」君にも、よく声をかけています。私の中の「よげない」君は、私ではない人の中の「よげない」君を見つけるのに、アンテナとなってくれる大切な存在でもあるためです。

そんな「よげない」君は、インナーチャイルドやトリックスターとして名を変えて、様々な心理療法の概念として存在し、クライエントさんを癒しと成長に導くパイプのような存在として、その役割を担っています。
ところが、この、「よげない」君の弱った状態にあたるのが、心理カウンセリングにおけるクライエントさんなのです。
ですから、まずは弱っている彼を発見することが、カウンセラーやクライエントさんにとっての、最初の重要なお仕事です。この間のカウンセラーは、クライエントさんに対して傾聴と対話を根気よく繰り返し、彼の中に住まう「よげない」君に対する、栄養補給についての指導も行います。
心が弱ってしまっているときのクライエントさんは、「よげない」君を蔑ろにすることのエキスパートであるためです。蔑ろにしている部分を慣れないながらも丁寧に扱ってゆこうと取り組んでゆくことにより、結果的に悩みが和らぎ、問題が解決したり、クライエントさんの夢が叶うことがあります。人は、これらのことを「もたらされるもの」と呼びます。
けれども、忘れないで下さい。もたらされるものを手にする前に、「よげない」君を大切に扱えるようになることが、欠かすことの出来ない基礎なのです。

「よげないのいる家」なる物語に描かれるものは、時代に関係なく、人間にとって大切な大切な概念です。心の充実や幸福への鍵は、彼が握っているからです。
そうそう、これをお読みになっているあなた様の中の彼は、どうしていますか?
時に、声をかけてみてはいかがでしょうか‥‥。

                     ※2006年04月04日 日記「カウンセラーの綴りごと」より。



幸せだと言いながらも暴力をふるわれていたり、或いは物質的な充足ばかりが優先させられていて、幸せの価値が解らなくなったり…。充実感をより的確に感じ取る力を私たち人間は、見失いつつあると言われています。そのことを改めて問題視し、検討を重ね、新たなる次元で獲得していくことが、カウンセリングや成長を目指す概念に含まれる、厚みのある目的のひとつです








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